自然災害伝承碑|佐賀県白石町|高潮の記憶をつなぐ「潮塞観音」と地域の祭事
ベルです。全国の自然災害伝承碑をめぐっています。
前回の予告どおり、今回は佐賀県の石碑です。訪ねたのは、杵島郡白石町福富にある「大正三年高潮災害紀念碑・潮塞(しおどめ)観音」。碑のお隣には、観音様をまつったお堂があります。そのお堂の看板を読んで、この土地の歴史と、受け継がれてきた祭事を知りました。
1914年8月25日、高潮が襲った
【訪問日:2026.8.12】
国土地理院の地図に載っている伝承内容によると、大正3年(1914)8月下旬、杵島、小城、佐賀、藤津の4郡を高潮が襲いました。堤防が次々と決壊し、数千の家屋が流され、多くの人が溺れて亡くなったそうです。その被害を伝えようと、村民によって記念碑が建てられました。
碑の概要

- 碑名: 大正三年高潮災害紀念碑・潮塞(しおどめ)観音
- 災害名: 高潮(1914年8月25日)
- 災害種別: 高潮
- 建立年: 1921年
- 所在地: 佐賀県杵島郡白石町大字福富
- 伝承内容:
- 大正3年(1914)8月下旬に杵島、小城、佐賀、藤津の4郡を高潮が襲った。堤防が次々と決壊し、数千の家屋が流され、多くの人が溺死した。その被害を伝承すべく、村民により記念碑が建立された。隣には、決壊を免れた本堤の場所から発見された2体の石仏(潮塞(しおどめ)観音)をまつった御堂が建立されている。(国土地理院地図(自然災害伝承碑表示画面にある伝承内容)より)
お堂の看板で知った、この土地の歴史

現地にあった「お堂」には、潮塞観音の由来を書いた看板が掲げられていました(平成18年、潮塞観音保存会)。
看板によると、福富の大地は、1560年に干潟を干拓して新しい土地が開かれて以来、何度も造成され、広い農地が築かれてきたところです。けれども、いつも自然の脅威にさらされ、人の力だけではどうすることもできず、神仏の加護に頼ってきたといいます。
大正3年8月25日の高潮は、台風と重なって堤防を次々と壊しました。現在お堂のある場所の一角から潮があふれたものの、巨木のような木が流れ着いて濁流を防ぎ、広い稲田が被災を免れたそうです。のちに、そのときの土俵を取り除く作業の中で、観音様の石像が見つかりました。
もともとこの観音様は、明治30年ごろに大仏寺から迎えられ、ここから500mほど南でまつられていた千手観音様でした。人びとは、「この観音様が海水の浸入を防いで稲田を守ってくださった」と受け止め、大正3年に現在の位置にお堂を建てました。以来、毎年8月25日は「潮塞記念」の行事として祭事が受け継がれてきたそうです。
「潮塞」という名前の由来
名前の由来も、看板で知りました。千手観音様が千手を広げて潮を防がれたという言い伝えがあることから、「潮止」ではなく「潮塞」観音と呼ばれているのだそうです。
私たち一人ひとりに名前があるように、観音様のお名前にも、その名がつけられた理由や思いが込められているのですね。名前って、大切だなと思いました。
そういえば、地名も同じですね。
地名の中には、その土地の特徴や、かつての暮らしの様子、自然災害の記憶などが残されているものもあります。もちろん、地名だけで、その土地が安全か危険かを判断することはできません。
でも、「どうして、この名前がついたのだろう?」と興味を持ち、土地の歴史を知ることは、今の暮らしや備えを考えるきっかけにもなると思うのです。
名前に込められた思いや、そこに残された先人たちの知恵。
それらを大切にしながら、今の私たちの暮らしにも活かしていきたいですね。
祭事がつなぐ、地域の記憶
看板を読んで、この地が昔から自然の脅威にさらされてきたこと、そして人の力だけではどうすることもできず、神仏の加護に頼ってきたことを知りました。そういう歴史があって、お堂が建てられ、祭事がずっと受け継がれてきたんですね。
旅から戻って調べてみると、いまも祭事が受け継がれている様子を、インターネットの画像で見ることができました。祭事の日は、災害が起きた日と同じ8月25日。災害の日付が、そのまま「忘れない日」として、地域の暮らしの中に根づいていることに感動しました。すばらしいですね。
石碑が暮らしの中にあるということ

石碑は、そこにあるだけでは、知る人がいなくなったとき、「あるのに、ない」状態になってしまいます。見えていても、存在を知らなければ、その碑が伝えようとしたことは届きません。
この地域は、そうなっていませんでした。碑とお堂があり、毎年8月25日には祭事が受け継がれています。祭事として続いていくことで、この地域で生まれ育つ人たちに、碑やお堂の存在が知られ続けていくのだと思います。
災害伝承には、さまざまな形があります。その中で、私が石碑に強く惹かれるのは、今回のような祭事と結びつくことができ、またバス停やごみ集積場など(これまでの探訪で実際に見てきました)、人が暮らしの中でその存在を目にし、触れることができるところに建てられているからです。
暮らしの中で出会い、ときに手を合わせ、毎年同じ日に思い出す。そんなふうに、石碑が人の営みの中にあることで、記憶は受け継がれていくのだと感じました。
こうした碑が「ここにあるよ」ということを、少しでも多くの人に知って、活用してもらいたくて、全国をめぐっています。まずは「近くにどんな石碑があるのかな?」と、地理院地図をのぞいてみませんか。そして碑の近くに、看板やお堂、祭事の記録があれば、ぜひ足を止めて読んでみてください。
おまけ
潮塞観音の隣には不動明王立像もありました。自然災害伝承碑はお寺にあることも多いので、仏像を拝観する機会もあるのですが、おもわず「かわいい」と思ってしまった、お不動様に出会ったのは初めてでした。

右牙と左牙を上下にだして、怖さもあるのですが、目がまんまるで優しいのです。写真で見るとわかりにくいですが、お顔は見上げることで拝める大きな像です。
災害紀念碑、潮塞(しおどめ)観音、そして、お不動様。
人間にはどうにもできない自然に心を向け、物心両面の備えをすることが、自助・共助の根っこになるのではないかと思います。
祈りを受け継ぐこと、そして、自分たちにできることを重ねていくこと。そのどちらも大切にしたいと感じた白石町でした。
ではまた!
次回は、わたしが必ず行きたい!と願っていた福岡県にある自然災害伝承碑をご紹介する予定です。
ベルでした!




