土砂災害

自然災害伝承碑|福岡県うきは市|災害の記憶を「穀物」で備えに変えた「儲穀の碑」

福岡県うきは市吉井町富永にある自然災害伝承碑「儲穀の碑」。しめ縄が掛けられた大きな自然石と、その左側に細長い石碑が立っている。周囲には木々や草が茂り、民家も見える。
Bell

ベルです。全国の自然災害伝承碑をめぐっています。

前回の予告どおり、今回も福岡県うきは市吉井町の石碑をご紹介します。

訪ねたのは、富永にある「儲穀の碑」。災害の悲しみだけでなく、「その後どう備えたか」が刻まれた、珍しい碑です。

1720年(享保5年)、山崩れで田が砂と石に埋まった

【訪問日:2026.8.13】

国土地理院の地図に載っている伝承内容によると、享保5年(1720)に発生した土砂災害で、人々は生活に困窮しました。碑文には、山崩れによって水があふれ、田は砂や石で埋まったと記されています。

国土地理院「重ねるハザードマップ」で表示した福岡県うきは市周辺の地図。土砂災害の危険性がある区域が黄色や赤色で示され、自然災害伝承碑の位置が緑色のアイコンで表示されている。赤い丸で「儲穀の碑」の位置を示している。
自然災害伝承碑「儲穀の碑」の大きさと周辺の様子をまとめた3枚の写真。左は高さ約1.45メートル、右は幅約1.45メートルと表示された、しめ縄の掛かる自然石。中央は、石碑へ続く細い通路と周囲の木々を写している。
  • 碑名: 儲穀の碑(ちょこくのひ)
  • 災害名: 土石流(1720年)
  • 災害種別: 土砂災害
  • 建立年: 1794年
  • 所在地: 福岡県うきは市吉井町富永123-1
  • 伝承内容:

享保5年(1720)に発生した土砂災害によって、生活に困窮したため、災害に備え穀物の備蓄に努めたことを記録した記念碑。碑文には、享保年間この村は山崩れによって、水はあふれ田は砂や石で埋まった。不慮の災厄に対しては日頃の備えが肝要なので、村長は一同と相諮り穀物を蓄積することとし、以来25年間、今年、寛政6年(1794)までに、77石余りを蓄えた。と記されている。

(国土地理院地図(自然災害伝承碑表示画面にある伝承内容)より)

田が砂や石で埋まるということは、そこで暮らす人にとって、その年の収穫を失うだけでなく、先々の暮らしの土台まで奪われるということです。大変な被害であったことがうかがえます。

25年間で77石余りを蓄えた村の人たち

この碑で気になったのは、「25年間」「77石余り」という具体的な数字です。

1石は約180リットル。77石は、お米に換算すると約11.5トンに相当する量です。

でも、25年間も穀物を蓄えるって、どうやっていたのでしょう?

穀物は長期間保管すれば、虫がついたり、傷んだりすることもあります。

調べてみると、江戸時代には、災害や飢饉に備えて集めた穀物を村人に貸し出し、返してもらうことで備蓄を維持する「社倉」という仕組みがありました。広島県竹原市の「福田の社倉」もその一例です。

この村でも、同じような仕組みがあったのでしょうか。

碑文にある77石余りが、25年間に蓄えた延べ量なのか、当時の備蓄量なのかも気になるところです。

この地域の穀物備蓄の仕組みについて、ご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。

「不慮の災厄には日頃の備えが肝要」

碑文には、「不慮の災厄に対しては日頃の備えが肝要」という考えのもとで、穀物を蓄えることにしたと書かれています。

災害の被害を伝える碑は多いのですが、この碑は「だから、こう備えた」という行動まで記録している点が印象的でした。

現地でまず驚いたのは、今から200年以上も前に、災害に備えて食料を蓄えるということが行われていたことです。

そして、もうひとつ心に残ったのが、「村長は一同と相諮り」という部分。

村の人たちが相談して、みんなで備えることを決めたのですね。

今でいう地域の防災倉庫にも通じる考え方なのかもしれません。

災害が起きたとき、誰かひとりではなく、地域で力を合わせて飢えをしのぎ、暮らしを守ろうとした。そんな先人たちの姿を現地で想像しました。

前回の「山潮記念碑」とのつながり

前回ご紹介した「山潮記念碑」(同じうきは市吉井町富永)にも、享保5年(1720)に山潮(土石流)の災害に遭ったことが刻まれていました。

今回の「儲穀の碑」が建てられたのは1794年。1720年の災害から74年後です。そして1946年の災害のあと、1947年に「山潮記念碑」が建てられました。

同じ地域に、時代の違う2つの碑があり、どちらも1720年の災害に触れています。

ひとつは「その後の備え」を、もうひとつは「再び同じ災害に遭ったこと」を伝えている。

2つをあわせて見ることで、この地域の災害の歴史がつながって見えてきます。

おまけ|河童に会いに、田主丸駅へ

自然災害伝承碑をめぐっていると、ときどき河童に出会います。

これまでも、自然災害伝承碑のそばに河童の像がある場所を訪ねたことがありました。

今回立ち寄ったのは、福岡県久留米市にあるJR久大本線の田主丸駅(たぬしまるえき)。

実はこの駅、以前、地理院地図ファンクラブさんのオンライン定例会で話題提供をした際、参加者の方が教えてくださった場所なんです。

うきは市からも近いので、ちょっと寄り道してみました。

駅舎を見てびっくり。なんと、河童の形をしているんです!笑

田主丸には筑後川にまつわる河童伝説があり、河童は地域のシンボルとして親しまれています。

自然災害伝承碑をめぐるなかで、河童と水害の結びつきに触れるたび、昔の人たちは祈りや信仰を通じて、自然の脅威と向き合ってきたのだろうなと思います。

今のように、災害が起こる仕組みを科学的に知ることも、危険な場所を地図で確認することもできなかった時代。

でも、科学が進んだ現代でも、わからないことはたくさんあります。

例えば、土砂災害の危険性がある場所はわかっても、いつ、どこで発生するのかを正確に予測することはできません。

だからこそ、先人たちが自然を畏れ、祈りを捧げてきたように、私たちも自然への畏れを忘れずにいたいものです。

そして今を生きる私たちは、その思いを日頃の備えや、いざというときの避難行動につなげていきたいですね。

命と暮らしを守るために。

霜降の頃となりました。朝晩の寒暖差が大きくなっています。体調にお気をつけて!

ではまた!

ベルでした!

ABOUT ME
ベル
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災害伝承ラボのX係
災害時に役立つバンダナと帽子がわりのパトライトがお気に入り。 災害伝承のこと、自然災害伝承碑を巡る旅と防災の情報をXで発信係です。
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