|鹿児島県・宮崎県|えびの地震
昨日の深夜に愛媛県と高知県で震度6弱の地震が発生しました。余震はじめ、今後も同程度の地震が発生する可能性があるとのことです。過去にも長く余震が続いたり、短い期間に大きな地震が連続で発生しています。昨年末、そのことを伝える自然災害伝承碑を訪問しました。
えびの地震:1968年2月21日発生
えびの地震は鹿児島県、宮崎県、熊本県の県境付近が震源となった地震です。鹿児島県と宮崎県へ、この地震を伝える自然災害伝承碑を訪ねました。
2つの自然災害伝承碑は比較的近い場所にあります。国土地理院地図のツールで直線距離を計測すると約4.3Kmでした。
鹿児島県姶良郡湧水町
このブログのサムネイルにも使用している写真です。碑文には、とても大きな文字で「忘れるな えびの吉松地震」とありました。
湧水町(旧吉松町)では、昭和43年(1968)えびの吉松地震が発生した2月21日を湧水町防災の日と定めている。この地震は最大震度6(1ヶ月以上余震が継続)を観測し、旧吉松町では死者2名、多くの建物や道路に大きな被害が発生した。この碑は、後の時代における地震災害への警鐘でもある。
国土地理院地図,自然災害伝承碑マップの説明より,アクセス2024.4.18
説明にあるように、湧水町では2月21日を「湧水町防災の日」と定め防災訓練に取り組むなど活動がなされています。そして、そのことを地元メディアも放送しています。地域の方々に情報を広く届けるにメディアの力は大きく、災害伝承の継承にもメディアの協力は欠かせないと感じます。
動画をご覧いただくと地域の大きな体育館の敷地入り口付近にあることがおわかりいただけるかと思います。現地を訪ねた際、車で出入りするときに必ず目に入るような場所にあったのが印象的でした。地域の人が集まるところに嫌でも目に入るように設置することは、何度も何度も目にすることになるので、とても良いなと思いました。
宮崎県えびの市
宮崎県えびの市には、詳細が記されたものがありました。隣に立派なデザイン性の高い碑もあったのですが、すごくきれいにされていて黒光りしているためか、どうしても写真をとっている私が映り込むのです・・。わたしごときを晒すわけにもいかず・・・そのため、もう1つの石碑は後ほど紹介します資料(宮崎県作成)をご覧ください。
この碑文にあるように、えびの地震は連続して大きな地震が発生したことがわかります。
昭和43年(1968)2月21日、霧島山北麓を震源として、8時51分(震度5)と10時45分(震度6)の烈強震をはじめ、同年9月末までに12,353回(内有感1,706回)の火山性群発地震があった。宮崎県内で負傷者35人、住家・非住家の被害6,087棟をはじめ学校や道路、鉄道、電話、上水道施設等におよそ65億円もの被害が発生した。
国土地理院地図,自然災害伝承碑マップより,アクセス2024.4.18
震度5と震度6の強烈な地震が、約2時間の間に発生しています。さらに、2月21日に発生してから9月末までに12,353回(内有感1,706回)の火山性群発地震があった、とあります。
ためになる!「歴史資料に見る災害・防災」(宮崎県)
えびの地震について調べていて、とてもわかりやすくて、ためになる資料を見つけました。宮崎県が作成しているものです。こちらの資料に先ほど人間が写り込んでしまうとしていた石碑も紹介されています。(黒いボタンからPDFファイルをダウンロードできます)
資料を読んで知ったこと①
おはずかしながら、宮崎県内で発生する地震が3つに分類されること、知りませんでした。
宮崎県内で発生する地震は、主に「南海トラフで発生する南海地震」、「日向灘で発生
宮崎県「歴史資料に見る宮崎の災害・防災」No,8,アクセス2024.4.18
する日向灘地震」、「霧島山周辺で発生する火山性地震」があり、えびの地震は「霧島山
周辺で発生する火山性地震」に分類されます(【資料 2】参照)
そして、参照資料を拝見すると、宮崎県に被害を与えた明治以降の16件の地震のうち、日向灘で発生する日向灘地震が13件、南海トラフで発生する南海地震が1件、霧島周辺で発生する火山性地震が1件、その他1件です。南海地震の影響を受けるイメージがなかったので驚きました。
資料を読んで知ったこと②
前震、本震、そして、余震の多さに驚きました。熊本地震のときも、前震、本震があり、そのあと余震が長く続きました。
区分 | 月日 | 時分 | 震源の深さ | 地震の規模 | えびの町の震度 | 県内他地域の震度 |
前震 | 2月21日 | 午前8:51 | ごく浅い 0km | M5.7 | 震度5 | 人吉5 宮崎3 延岡3 都城2 |
本震 | 〃 | 午前10:44 | ごく浅い 0km | M6.1 | 震度6 | 人吉5 宮崎4 延岡4 都城3 |
余震 | 2月22日 | 午後7:19 | ごく浅い 0km | M5.6 | 震度5 | 人吉4 宮崎2 延岡2 都城2 |
余震 | 2月25日 | 午後5:49 | 10km | M4.7 | 震度4 | 人吉3 宮崎1 |
余震 | 3月25日 | 午前0:58 | ごく浅い 0km | M5.7 | 震度5(6?) | 人吉3 宮崎3 延岡3 都城3 |
余震 | 〃 | 午前1:20 | 10km | M5.4 | 震度5 | 人吉4 宮崎2 延岡2 都城1 |
慣れたらアカン!
思い出すと、熊本地震の後、最初のうちは余震が来るたびに「きゃー!」と悲鳴をあげて建物から逃げる人がいたのに、毎日のように震度4や震度3が続くと、みんな慣れてしまっていました。瓦礫などの撤去や建物の中の片付けをしているときに余震がきても「今のは震度3?」「今のは4あったかな」など、頭にヘルメット被っているのに、余震への怖さは薄れていました。慣れって本当に恐ろしいです。
ちょっとやりすぎかもだけど
昨夜に発生した地震で、九州の知人友人に連絡をとると「大したことなかった」の返事を聞くことができ安心しました。でも、気になる言葉もありました。「熊本地震があったから、しばらく九州には大きな地震はないよ」「けっこう揺れたけど、うちの家族は誰も反応しなかった」という言葉です。
先ほど「慣れたらアカン!」と同じく、慣れている状況と、そして、しばらく地震はこない、という根拠のない思い込み・・・。そんな恐ろしいものはありません。
地震は本当に突然やってきて、わずか数秒〜数十秒で、それまでの暮らしを一変させてしまいます。カタカタカタ・・・・え、え、嘘でしょ!ドーーーン!!!!!で、もう立っていられませんでした。(ベルの場合)
なので、カタカタカタ・・・・ときたら、サッ!と動けるように、考えるまもなく、反射で動くレベルで避難行動がとれるようにと何時もイメージトレーニングしています。
お店に入っても、スーパーに行っても、いつでも、逃げるとしたらここから、と確認しています。車で出かけたら、車を置く位置も気にします。近いところが便利だけれと、ちょっと遠くても、建物が崩れても影響なさそうなところに置いたり・・・。ちょっと度が過ぎる気もしますが、それを楽しんでいます。
さいごに
昨夜の地震で余震が続く中で、ご不安な時間をお過ごしの皆さま。
どうか不安なく安心できる所で、ゆっくり過ごす時間がとれますように。
そして、怖さや不安を感じる度合いは人それぞれ違います。心の不調がある方、音や周囲の状況に大きく反応してしまう方、さまざまな方がいらっしゃいます。
避難所に行きたい人、行く人に、「大丈夫だよ」とか「大袈裟」など言わず、「そのほうが安心ね」とそっと送り出してあげてください。どうかよろしくお願いします。
「怖い」と思っている気持ちを我慢したり、辛抱しながら耐える時間を過ごしている人がいませんように。
ベルでした。