鳥取県|筆舌に尽くしがたい惨禍
アーユーボーワン!すべての命に。2024年最後にお届けするのは、鳥取県の自然災害伝承碑です。先週で鳥取県遠征分は終わりと思っていたのですが、あとひとつありました!
その伝承碑は大きな河川(天神川)の堤防沿いにありました。石碑の周囲は広く樹木で囲われていたので、これまた見つけるのに少し苦労したのですが、もうこのあたりしかない!と車をおりて付近を歩いていると見つけることができました。
ベルくん、足を使え、現場は足をつかってまわるものだよ…(誰の声やねん、🤭)
天神川改修60周年記念碑
こんなに大きな自然災害伝承碑なのに、簡単に見つけることができなかったのは、下の写真左手にある樹木で囲まれたところにあったからです。
周辺の道路からは全くみえず、スマホで国土地理院のGSIマップを見つつ、タブレットではGoogleマップやGoogle Earthを使ったりして特定していきました。
もう絶対このへんなんだけどな〜〜と目星をつけて、近づくも道路への入り口に車が通れないように柵があったので、少し離れたところに車を置きに行って、歩いて戻ってきたところの写真です。↓左側の森みたいになっているところに立派な伝承碑がありました。
概要 | |
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碑名 | 天神川改修60周年記念碑 |
災害名 | 室戸台風 (1934年9月20日~21日) |
災害種別 | 洪水 |
建立年 | 1994 |
所在地 | 鳥取県倉吉市見日町 |
伝承内容 | 昭和9年(1934)9月21日、日本を襲った室戸台風は天神川流域で猛威をふるい、堤防の決壊、橋の流失、家屋の流失・倒壊が続出し、氾濫した濁流は一朝にして旧小鴨村・旧倉吉町等東伯郡内を河原・泥の海と化し、死者行方不明者は鳥取県内で81名に及ぶという筆舌に尽くし難い惨禍を与えた。 |
制限事項 |
室戸台風ってやつは・・・・
自然災害伝承碑巡りをしていて「室戸台風」の伝承碑は四国、関西で見かけることが多かったのですが、本当に被害の範囲が広かったんだなぁとつくづく感じます。
台風が上陸し被害をもたらしたところに自然災害伝承碑があると、だいたいこういう方向に進んだんだなくらいは把握することができます。
室戸台風についての詳細はこちらをご覧ください。
伝承内容から何をうけとる?
災害伝承の内容には、死者○名、浸水家屋○棟…等々、規模がわかるような数字記録が残されていることも多いのですが、ベルがこれまでに会ってきた自然災害伝承碑に限って言えば「筆舌に尽くしがたい」のような言葉で表現されていることも多いです。
いまの時代は、エビデンス、データ、分析は大変有益で重要な指標ですが、どんな内容であれ、災害伝承を残した先人がそれをもって何を伝えようとしているのかを考えることが一番大事だと思っています。
今回の伝承内容のように「筆舌に尽くしがたい」(類語:言葉にならない、言い表せない)その言葉を見ると「あぁ…」となります。
そして、必ず思うんです「安全なうちに安全確保を開始するぞ」と。
災害伝承にふれるときに気をつけていること
災害伝承に触れる時に気をつけていることは「へ〜そうだったんだ」で終わりにしない、ということです。土木技術や気象技術など、外的・環境要因となる部分は進歩し続けていますし、さまざまな状況の変化に伴って地域が様変わりしていることもあります。
それはプラス方向だけでなく、マイナスの場合もあります。たとえば、たくさんの人が住む家がある場所が、宅地開発や造成で池だった、沼地だったということもありますし、河川の流れを変えていたり、自然災害伝承碑自体が元々あった場所から移動していることもあるからです。
なので、単に災害伝承に触れて「ここは危ない」「ここは安全」というような理解はしないように気をつけています。必ずハザードマップと一緒に災害リスクを確認しています。
安全なうちに安全を確保するのが避難です
今回は室戸台風での被害を伝える災害伝承でした。いまや気象技術は大変な進歩をしていて、気象予測の精度は非常に高いそうです。それほどまでに気象予測が進んでいるのに、毎年水害で命をなくす方がいらっしゃる様子に心が痛みます。
なぜ、安全なうちに避難しないのか。
避難は、危なくなってからするものではありません。そして、避難所やどこか別のところに行くことが避難でもありません。避難は「安全なうちに安全確保をするのが避難」です。
それが社会でのスタンダードになれば、個人だけじゃなく、会社や学校など、社会みんなの行動が変化するのではないかと思います。いや、みんなでそうしていかなければと。
以前、お勤めの方で小さなお子様がいる方から「早退して迎えに行きたいけど、有給を使うことをするとしても、会社や上司の承諾がないと帰れない、警戒レベル2や3で早退することは難しい」と耳にしました。
せっかくの気象技術、安全なうちに安全確保ができるようにと発令される警戒レベル情報が、生かされていないと感じた瞬間でした。
みんなのこころがつながって、一人ひとりの自助の心がけと、一つひとつの素晴らしい取り組みがつながって、水害で命を落とすことがなくなる年がくればいいなと思います。
自然との共生は素晴らしいこともたくさんあります。災害にならないように、いろんな技術、知恵、工夫など、今は点がいっぱいなだけです、きっと。
近い将来に、点が線になって、輪になっていく日を思い続けます。
さいごに
2024年は年明けから大変な自然災害が発生した年でした。さまざまな事情で復旧に難題が重なる状況があり、いまも復旧の中にある方々もたくさんいらっしゃいます。内灘町の液状化を目の当たりにしたときには言葉がでなかったです。
じぶんに何ができるだろう、被災地のものを買う、被災地へ旅行に行く、ボランティアに行く、寄付、募金いろんな方法があります。
でも、わたしは、被災者が被災者を支援することの大変さを経験し、被災地で被災者を支援する人たちの大変さを被災者として見てきました。
その状況でわかったことは「支援する人を支援する人が少ない」現状です。そして、このような状況は全国のあちこちにあるということを知りました。
2024年の夏前まで、少しでも災害にならないようにすること(防災)、支援している人を支援すること、をどうすればできるかと考えに考える日々でした。
それを解決するものとして考えたのが「災害伝承検定(講座+検定)」です。年内に完成させ、1月からは運用開始を目指していましたが、私の力不足で出来ませんでした。
2025年には、みなさんに紹介できるよう年末年始もがんばります!
今年一年ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
2024年12月26日 ベルでした!