自然災害伝承碑|和歌山県|わずか10分で届いた5.2mの衝撃。安全な場所を伝える石碑
ベルです。全国の自然災害伝承碑をめぐる旅をしています。今回も前回に引き続き、和歌山県すさみ町を訪ねました。昭和南海地震による激しい揺れの直後、真冬の暗闇から襲いかかった大津波。未来への確かな「道標」を伝える萬福寺境内の「津浪乃碑」を訪ねました。
悲劇と救命の記憶を刻む。萬福寺の「津浪乃碑」
【訪問日:2023.10.28】
太平洋に面したすさみ町周参見の萬福寺境内に今回ご紹介する「津浪乃碑」はあります。 この碑は、昭和21年に発生した昭和南海地震の被害状況と緊迫した状況下でどこが安全だったのかという「命の避難先」をはっきりと後世に伝えていました。

碑の概要

- 碑名: 津浪乃碑(つなみのひ)
- 災害名: 昭和南海地震(1946年12月21日)
- 災害種別: 地震・津波
- 建立年: 不明
- 所在地: 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見(萬福寺境内)
- 伝承内容
- 昭和21年12月21日午前4時20分、突如大地震が発生した。
- そのわずか10分後、不気味な海鳴りを伴う津波が数回にわたって襲来した。
- 津波の高さは約5.2m(一丈七尺)に達し、防潮堤を約1.5m(五尺)も越えて町を飲み込んだ。
- 流失・倒壊136戸、浸水403戸、死者17名という甚大な被害となった。
- この大惨事の中で、「安全地帯は小学校や萬福寺など」であった。
激震から10分間。暗闇の中で生死を分けた時間
この碑のことを調べていくと、当時の人々が直面した「時間」と「季節」の過酷さに胸が締め付けられます。
災害が発生したのは、12月21日の午前4時20分。凍てつく寒さの冬の未明です。眠りについていた人々は、突然の激しい揺れに叩き起こされたことでしょう。そして恐ろしいことに、津波は「地震の直後わずか10分」で襲いました。
押し寄せた波の高さはビル2階分に匹敵する約5.2m(一丈七尺)。当時、町を守るはずだった防潮堤を1.5m(五尺)も軽々と超えて一気に浸水が広がっていきました。
わずか10分、どれほど恐ろしいものだったかと想像するだけで怖くなります。碑文の短い言葉が当時のパニックと必死の避難の情景をありありと私たちに想像させます。
「どこへ逃げればいいのか」石に刻まれた「生存マップ」
この「津浪乃碑」が持つ最大の価値だと感じたことは、被害の悲惨さを伝えるだけの記録に留まらず、次の世代に向けて具体的で実用的な避難情報がある点です。
碑文の中に「安全地帯は小学校萬福寺等なり」という言葉があるのです。
どこに逃げれば確実に生き延びられるのか。先人たちは自らの過酷な体験を通して得た「小学校と萬福寺は安全だった」という真実を石に刻み込んでいます。
すさみ町は、背後に紀伊山地が迫り、平地がごくわずかという場所にあります。あらかじめ「ここへ行けば助かる」という明確な安全地帯の情報を地域で共有し、語り継ぐことは命綱になります。
萬福寺という、地域の人々が日常的に集まり、お参りをする境内にこの碑を建てることで、「いざという時は、この萬福寺や小学校へ駆け込みなさい」という強いメッセージを子孫を守るために遺した先人の知恵と思いやりに感動します。
今回紹介した「津波乃碑」からは周参見駅横にある津波避難タワーが見えていました。こちらは2010年に津波避難タワーを設置した後、2012年に内閣府が、2013年に和歌山県が南海トラフ巨大地震での津波想定を公表したのをうけ、2015年に既存のタワーの隣に建設されたものです。
状況の変化にともなって対策も変化させていらっしゃる様子を間近に見守る石碑を目にして、きっと先人のみなさんは石碑を建立してよかったとうれしいだろうなと心がぽかぽかしました。

おまけ〜まるでタイムカプセル〜
海がもたらす豊かな恵みと、時に牙をむく大津波の脅威は、常に隣り合わせです。 今回のような「文字による伝承(石碑)」は、時間の経過とともに失われがちな災害のリアルな恐怖と教訓を、何十年、何百年先までそのまま届けてくれる大切なタイムカプセルです。
「安全な避難先を日頃から知っておくこと」は、自分だけでなく大切な人の命を救う最大の防災スキルになります。皆さんも、ぜひ身近な場所にある避難先や、先人が遺してくれた伝承の言葉に目を向けてみてください。
自然災害は、いつでも私たちの日常の隙を突いてやってきます。いつ、どこで起きるかわからないからこそ、日頃からの備えを大切に、最新の情報を確認して安全第一でお過ごしください。皆様が安心して日々を過ごせるよう心より祈っています。
では、また!ベルでした!😊





