自然災害伝承碑|岐阜県|幻の城、その名も帰雲城趾
こんにちは~。少し涼しくなってきたと思ったらまた最近暑いですね。お天気も不安定で全国各地に大雨や台風が来ています。皆様もお気をつけください。
帰雲城趾(説明碑)
さて本日は帰雲城趾という珍しい名前の自然災害伝承碑です。お城名は”かえりくもじょう”と読みます(例によって結(Yui)は”きうんじょう”だと思っていましたが…)。しかし城址が自然災害伝承碑とは。なぜ城跡が自然災害伝承碑なのかというと、この帰雲城の悲しくもロマンのある結末に由来しています。
この帰雲城は内島上野介為氏によって1460年頃(室町時代の寛正元年頃)に築かれたお城です。そして四代氏理の時代、1585年(天正十三年)の旧暦11月29日に東海、北陸、近畿を含む広範囲に巨大地震(天正地震)が起こりました。その地震により帰雲山に大崩落がおこり帰雲城も城下町も家畜などもすべて埋没したとされています。お城とその城下町まるまる無くなってしまうとは恐るべき山体崩落ですね。お城の城主はもちろんですが、国土地理院の自然災害伝承碑の地図内にある伝承内容には300件の家屋、推定500人余りの方が無くなったらしい旨が記載されています。ですので、お城の跡はもちろん、お城や城下町がどこにあったのか、という事は今もわかっていないそうです。よく城跡の場合でも石垣だけは残っていたり、地形や縄張りにそれらしい跡があったりしますが、今回の場合はその地形自体がまるっと変わってしまったので全く跡が残っていないのでしょう。帰雲城は幻のお城とも言われているようですが、それもうなずけます。

ちなみに帰雲城のはっきりした場所はわかっていませんが、この自然災害伝承碑が建っている場所は、地勢や堆積土砂などからして帰雲城があったと推測される場所だそうです。今はなき帰雲城とその城下町、村の暮らしや家畜との生活に思いを馳せつつその地を後にしました。
- 碑名: 帰雲城趾(説明碑)
- 災害名: 天正地震(1586年1月18日)ほか
- 災害種別: 土砂災害・地震
- 所在地: 岐阜県大野郡白川村保木脇
- 内容: 天正13年11月29日(1586年1月18日)夜、東海・北陸・近畿の広い地域を巨大地震が襲った。庄川右岸の帰雲山(かえりくもやま)での推定震度は6とされ、大規模な山体崩落により一瞬にして対岸の帰雲城をはじめ、城下集落約300戸、推定500人余り、牛馬にいたるまでことごとくが埋没したとされる。碑は帰雲城があったと推測される場所に建立された。
おまけ – 白川郷
今日のおまけは、今回の自然災害伝承碑からほど近いところにある世界遺産の白川郷です。かなり山深いので行った事が無い方もいらっしゃるかもしれませんが、有名なので名前は知っているという方も多いのでは。結(Yui)は白川郷が好きなので何度か行った事があるのですが避けているシーズンがあります。そう、冬です。本当は冬の白川郷は雪化粧でとても幻想的で美しいだろうな~と思うのですが、雪道が怖い&ものすごく寒そうなので行った事がありません。なので今回も春に行っております。

この集落の見どころは何といっても合掌つくりのお家ですよね。藁ぶき屋根のお家は中も素敵です。しかしこの藁ぶき屋根、職人さんも原料もの藁も減っているそうで、維持が大変だそうです。また修繕費用も高い為一気に両方とも吹き替えることができず、片面今年、反対の面は来年、といった感じになるそうです。でもやっぱりこれぞザ・日本の風景といった感じで素敵ですよね。一生に一度は是非訪れてみてほしい場所です。

結(Yui)でした。ではまた~☆



