自然災害伝承碑|長崎県|暮らしのそばに立つ「七・二三長崎大水害碑」
ベルです。全国の自然災害伝承碑をめぐっています。
今回は、熊本地震の支援活動で九州へ入った際に足を伸ばした長崎県長崎市界にある「七・二三 長崎大水害碑」です。1982年7月23日の夜、長崎を襲った豪雨災害の記憶を伝える碑です。災害の翌年に建てられました。地域のふれあいセンターの駐車場にあったこの碑で、気づいたことをお伝えします。
一夜で36人の命を奪った豪雨
【訪問日:2026.8.12】
長崎市界2丁目に、昭和57年(1982年)7月23日の大水害を伝える碑があります。国土地理院の地図に載っている伝承内容によると、午後5時頃から降り始めた雨は一日降水量が448mmに達し、日見地区では36人の尊い命と巨額の財産が一夜にして奪われたとされています。
碑の概要

- 碑名: 七・二三 長崎大水害碑
- 災害名:昭和57年7月豪雨(長崎大水害)(1982年7月23日)
- 災害種別: 洪水・土砂災害
- 建立年: 1983年
- 所在地: 長崎県長崎市界2-1-9
- 伝承内容
- 午後5時頃より降り始めた雨は1日降水量448mmに達し、観測史上驚異的な降水量を記録した。日見地区では36人の尊い人命と巨額の財産を一夜に奪った。昭和57年7月23日をけっして忘れてはならない。犠牲者の御冥福を祈り、再びこのような災禍を繰り返さないよう祈念する。(国土地理院地図(自然災害伝承碑表示画面にある伝承内容)より)
長崎での「44年前の話」ではない。
1982年7月23日の夜、斜面の多い長崎の街で、夕方から猛烈な雨が降り続き、河川の氾濫と土砂災害が同時に起こりました。長崎全体で、299人の方が亡くなったり行方不明になったりしています。
その夜から、今年で44年。石碑の前に立つと、数字で知っていた災害が、ぐっと身近に感じられます。斜面のある街に住んでいる人は、とくに他人事ではありません。大雨のとき、自分の家の裏山や近くの川はどうなるのか。碑のある場所は、過去を知るだけでなく、いまの備えを見直すきっかけになります。それはとても大切な機会です。
訪ねて感じたこと

碑があったのは、地域のふれあいセンターの敷地内、車を止める駐車場でした。地域の方が用事で訪れる機会のある場所に碑があるのは、他の碑めぐりでもよく見る光景です。人が自然と集まる場所にあることは、とても大事だなといつも思います。わざわざ探さなくても、日々の暮らしの中で目に入る。それが記憶をつなぐ第一歩なのかもしれません。
もうひとつ気になったのが、碑文の色です。金色でした。黒や白の碑文はよく見かけますが、金色は初めてだったかもしれません。
長崎は、和・華(中国)・蘭(オランダ)が混ざり合った「和華蘭(わからん)文化」が根づく街です。海外に開かれた港町として、中国やオランダなどの文化が暮らしの中にも溶け込んでいます。今回の訪問でも夜の教会周辺を歩くナイトツアーに参加してきました。
こうした地域の文化や暮らしぶりが、石碑の形や色にも影響しているのかもしれません(これはあくまでベルの想像です)。長崎にお住まいの方、ご存じでしたらぜひ教えてください!
そして、街歩きで見つけたのがマンホールのふた。長崎市のものは、星印のようなマークがとってもかっこよくて、思わず写真を撮りました。

碑めぐりへの思い
地図に載っている伝承内容には、「けっして忘れてはならない」とあります。人は、どんなに大きな出来事でも、時間がたつと忘れてしまいます。だからこそ、先人が残してくれた石碑が、記憶をとどめる存在になるのではと思っています。
ベルは、こうした碑が「ここにあるよ」ということを、少しでも多くの人に知って、活用してもらいたくて、全国をめぐっています。まずは「近くにどんな石碑があるのかな?」と、地理院地図をのぞいてみませんか。あわせてハザードマップで、自分の暮らす場所の土砂災害のリスクも確認しておくと安心です。
長崎では、あと2か所の碑をめぐりました。そのうち1か所は、次回ご紹介する予定です。お楽しみに!
自然災害が続いています。早め早めの避難行動で、ご安全にお過ごしください。
ではまた!ベルでした!





