自然災害伝承碑|宮崎県新富町「治水之碑」と河童が伝える洪水
ベルです!全国の自然災害伝承碑をめぐる旅をしています。相棒の結ちゃんと一緒マップにピンだてしていくプロジェクトに取り組んでいます!
今回は宮崎県新富町です。とてものどかな町ですが、昭和58年の台風10号ではその景色が一変しました。富田東二丁目にある「治水之碑」を訪ね、当時の記録と甚大な被害を振り返ります。
カッパが見守る石碑の概要

【訪問日:2025年12月30日】
住宅地にある川沿いに立つ石碑が伝えるのは「昭和58年台風10号」です。石碑のある宮崎県新富町では昭和58年(1983)9月27日、台風の影響で秋雨前線が刺激され、想像を絶する集中豪雨に見舞われました。
石碑と一緒に目を引く河童の像があります。背中には甲羅があり、足は水かきもついていました。細かいころまで作り込まれていて「やっぱり河童は実在…えぇ〜〜まさか、いやどうなん?」と思ってしまいました笑
碑の概要
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- 碑名:治水之碑
- 災害名:昭和58年台風10号 (1983年9月27日)
- 災害種別:洪水
- 建立年:1988年
- 所在地:宮崎県児湯郡新富町富田東二丁目
- 伝承内容
- 台風10号と秋雨前線の影響で集中豪雨が発生
- 新富町では時間最大雨量85mmを記録
- 鬼付女川(きづくめがわ)が荒れ狂う濁流となり氾濫
- 浸水面積は368.4ヘクタールにおよんだ
- 町の中心部の人家や農作物等に甚大な被害
重ねるハザードマップで石碑の場所を見てみると

自然災害伝承碑めぐりでは必ず「重ねるハザードマップ」で場所や周辺の情報を確認します。 今回、石碑があるのは「富田東二丁目」。伝承内容に「町の中心部の人家や農作物等に甚大な被害」 とあります。石碑の周囲は広い田畑がありますが、石碑は住宅街にありました。
石碑の近くには「鬼付女川」が流れています。現地で見た「鬼付女川」は大きな川ではなかったので、この川が氾濫し、368.4ヘクタールもの広範囲が浸水したという事実に驚かされました。

ただ、、、重ねるハザードマップで確認してみると石碑が伝承しているリスクは過去のものではなく、今も私たちの足元にあることをハザードマップが教えてくれました。


重ねるハザードマップにいついての読み解きはブログでは控えます。誤りがあったりした場合にご覧になった方にリスクをもたらしてしまう可能性があるためです。このような重ねるハザードマップや自治体のハザードマップの見方、使い方を知っておくことは本当に大切です。
自然災害伝承碑めぐり旅では、雨降りの時は石碑へ行くことはせずに中止します。石碑があるところは過去に災害があった場所であり、そのリスクは今も持ち続けているところが多いからです。そのため重ねるハザードマップで必ずリスクについて事前確認しています。
鬼付女川が荒れ狂う濁流に
「時間最大雨量85mm」。 数字だけ見ても凄まじいですが、現地で川を目の前にすると、その恐怖がよりリアルに感じられました。「そうか、小さな川だからあっという間に氾濫したのかもしれない。」そう思いました。
1時間あたりの雨量が85mmというのは、気象庁の分類では「猛烈な雨」に該当します。命の危険を感じるほどの凄まじい雨です。
息苦しくなるような圧迫感がある。
気象庁ホームページより (アクセス日.2026.2.19)
恐怖を感じる。
伝承によると、この雨量によって鬼付女川は「荒れ狂う濁流と化して氾濫」したそうです。368ヘクタールというと、東京ドーム約78個分相当でしょうか。それほどの広さが水に浸かった光景を想像することは私には難しかった、、想像ができませんでした。
しかし、こうして石碑(治水之碑)が残されていることで、私たちは昭和58年の記憶に触れ、防災への意識を新たにすることができます。先人が残してくれた教訓に感謝です。
今回の石碑が伝承する「台風10号」は宮崎県だけでなく広範囲で被害が発生しています。当時の様子を知るために、当時の映像や写真を探してみるのもおすすめです。文字情報だけでなく、視覚的な情報も補うことで、災害の全容をさらに掴むことができます。「昭和58年 台風10号」でたくさん情報が出てきます!
おまけ
今回訪れた「鬼付女川(きづくめがわ)」。なんとも恐ろしげでインパクトのある名前ですよね。名前の由来や、この川にまつわる伝承なども気になってしまいました。 なぜに「鬼付女」なんだろうかとしらべてみましたら、新富町のホームページに情報がありました!
●観音山の伝説って?鎌倉幕府の初代将軍「源頼朝(みなもとのよりとも)」。
彼の叔父にあたる「源為朝(みなもとのためとも)」は、その武勇ゆえに様々な伝説となって各地にその名を残しています。
実は、新富町もその一つ。昔々、観音山の岩屋に男女の鬼が住んでいた。
鬼は、あたりの村人をかどわかしたり、田畑を荒らしたりし、人々を困らせていた。
そこに鬼退治に現れた源為朝が、舟で海から岩屋に近づき矢を放つと、矢は女鬼の目にグサリと命中!
鬼たちは、一目散に逃げて行った。
以来、人々はその地を鬼付女(きづくめ)と呼ぶようになったという。というもの。(『新富町史 通史編』より)
野菜と温泉のまち 新富町ホームページ|新富町職員ブログ.2015.12.8「新富町の伝説〜観音山」より|
アクセス日:2026.2.19
もうひとつのおまけ!「てげうま!チキン南蛮」

自然災害伝承碑めぐり旅では「食」も楽しみのひとつです!しっかり「チキン南蛮」をおさえてきました!てげうまでした!(てげ=とても、すごく、という宮崎弁だそうです。)
このブログをしながら、この日はぽかぽかで暖かかったったなぁと思い出していました。
春が待ち遠しいです!
ではでは、また来週に! ベルでした!






