高知県| 坂本龍馬ゆかりの桂浜のすぐそばに

アーユーボーワン!ベルです。
先週のウィルス性胃腸炎から復活も、まだちょっと胃が重いことを言い訳に、大好きな「うどん」ばかり食べています。このまま完全復活じゃなくてもいいな〜なんて思ったりしています笑
さて、本日は先週に予告変更となっていた高知県を巡ったブログです。自然災害伝承碑だけでなく、さまざまな場所に行ってきました。今回は前編です。(1回にまとめきれませんでした汗)
坂本龍馬も来たことがあるかも。。。(希望的想像です)

- 碑名:浦戸稲荷神社石柱碑
- 災害名:安政南海地震(1854年12月24日)
- 災害種別:地震・津波
- 建立年:1826年(確認中:鳥居の建立年?)
- 所在地:高知県高知市浦戸
- 伝承内容
- 嘉永7年11月5日(1854年12月24日)
- 安政南海地震と津波が発生
- 大地震があると津波も来ると心得るべし
- 地震で倒壊した鳥居を利用したと伝えられている
坂本龍馬ゆかりの地との位置関係

とてもざっくりしていて申し訳ありません。。。地図を見る知識やスキルが高い方は距離の間隔をすっとつかめて、想像もしやすいのかもしれませんが、ベルのように地図を見る知識&レベルが一般的ちょい多めぐらいのレベルだと、パッと見では「遠いなぁ」と思ってしまいがち。。。
生まれた家からは
この距離は地理院地図の機能を使って地図上で測りました。黒い線の「ざっくり約11Km」は、生まれた家の跡地から、いま現在の道路を通った場合の距離です。一般道で時速35Kmぐらいで約18分くらいです。
桂浜からは
ご存知の方もおおいと思います、坂本龍馬 銅像がある桂浜からは、「ざっくり約700m」です。桂浜も周辺も、ゴールデンウィークということもあり大賑わいでしたが、浦戸稲荷神社がある場所は鎮守の森から鳥の声が聞こえる静かな場所でした。
こんな記事がありました(追記:2025.6.20)
2016年に放送されていたNHK大河ドラマ「真田丸」に関する記事に、こんな文章をみつけました。
幕末から明治は、戦国時代に次いで沢山描かれていて、13作品もあります。最近では、宮崎あおいの篤姫で安政江戸地震が描かれたりしています。幕末は、地震だらけで、何度も大河ドラマで描かれた坂本龍馬さんも、安政の東海地震、南海地震、江戸地震を経験したはずです。土佐・高知は南海トラフ地震の最大の被災地です。
Yahoo! JAPANニュース,「真田丸」で描かれた地震、大河ドラマの時代からみる地震の歴史」,2016.7.28,12:34,福知伸夫,名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長,アクセス:2025.6.20,13:27,https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a7a66943fd676ea45a538d09cc322cb3c26cfd2b
災害伝承が今も地域で生きている
災害伝承が生きている?!なんじゃそれ、と思われることと思います。なんじゃそれ、なんですが、災害伝承は、「へぇ〜、そうなんだ」で終わったら災害伝承とはいえないんです。
災害伝承は、「災害伝承を知り→今に活かし→後世へと伝える」でひとくくり。自分が知るだけでは災害伝承とはいえないんですね。
こちらの浦戸稲荷神社には災害伝承が今も地域で生きている様子がありました。

写真の真ん中にあるのが、自然災害伝承碑「浦戸稲荷神社石柱碑」です。左手は避難誘導灯、右手は防災倉庫(真ん中の写真を見ると2つあるのがわかる)であることがわかります。
また、この場所は、「津波避難場所」になっていることもわかります。奥に進むとさらに高いところへと続く階段もありました。

そして、階段や広場は掃除をされている様子や、人が歩いたあともありました。自然災害伝承碑は、こちらのような地域の神社やお寺の中にあることも多く、そのような場合は「避難場所」や「避難所」になっていることもあります。
安心をもたらす場の存在は大きいけれど、、、
こういった場がある暮らしの安心感は、わたしにとっては住む場所として理想的だなとすごく実感しました。転勤族のため、あちこちに引越しをしてきたのですが、「自治会があるところに住んで入会するように」と祖父からはいつも言われてきました。戦争中に生まれ、戦後の大変な時期や自然災害も経験して地域社会の大切さを知っているからだと思います。
とはいえ、そういう場所を求めて先祖代々が暮らしてきた場所や、お仕事や学校などの関係、そして、何より暮らしている場所への愛着があり、住まいを移すことは簡単ではなく難しいことと思います。
わたしも被災経験をし、実家が住めなくなったため、えいやっ、と勢いと若さで家族と離れて単身移住をしましたが、2回目の被災経験となった熊本から離れることは出来そうもなく、多拠点暮らしをすることで保留にしてきました。保留10年となる今は、これはこれでいい、どうして1か所でなければならないんだ?となりつつ、どうしようかな〜と思案しています。
旅の心得をひとつ・・・自戒をこめて
今回の巡り旅は長丁場でした。京都→奈良→徳島→高知→愛媛→大分→熊本→兵庫→大阪とぐるっとまわる予定だったのですが、仕事が詰まりにつまっていて、自然災害伝承碑めぐりのために終わらせるんだ〜!と気合いバリバリで出発ギリギリまで仕事をしていたのが仇に。。。
旅の準備は余裕をもって、、、忘れものに要注意
それは高知県で発動されました・・・。徳島県で1泊し、翌早朝から室戸〜高知市内などで目当ての自然災害伝承碑や施設をめぐり、高知県での予定で一番楽しみにしていた展示で大興奮し、満足と至極のよろこびと充実感でいっぱいで夕飯も食べ終わったころにやってきました。
発熱、、、ちょっと苦しい、、、頭がいたい。
呼吸器系がよわく、いつもは持ち歩いている酸素飽和度を測る機器を忘れてしまっていて、、、まさか酸素飽和度が、、、と考えてしまったため一気に不安に陥っていきました。
いや、これは思い込みだ、落ち着け、おちつけ、、、、
思えばおもうほどに、意識が向けられていくことを知っているのに、そちらに向いていきます。意識を散らすために持ち歩いている「むにゅむにゅ」(と呼んでいる手にいろんな刺激を起こすもので、無限えだまめ、みたいなもの)も持ってきていない、、、
あ〜、やばいな〜、熱が上がらなければ大丈夫、、、と解熱剤を飲んで様子を見ていたら、
体感での熱はあがっていっている様子で、家族が触っても「熱いままやな。。」となり、、
頭痛も続き、解熱剤も効かない、、これ以上の無理はダメだと、「ごめんなさい、病院に行きたい!」と家族にお願いしました。。。
高知家の救急医療電話 #7119
高知家の救急医療電話#7119に電話して、電話をつないだまま、おたずねに答えながら車へ移動し、探してくださっている間は車で待機しました。
ゴールデンウィークの深夜。
なかなか受け入れ先が見つからずも、センターの方が「つぎのところかけますからね、もうちょっと待ってくださいね」と励まし&受け入れ先さがしを頑張ってくださって、診ていただけるところが見つかり、受診できました。

不思議なものですね、この赤い看板をみただけでちょっと安心し、病院名を忘れないように写真をとりました。問診票に記入し、呼吸器系の発作だと心配だからと熱と飽和度、血圧をすぐに測ってくださいました。
ふだんから酸素飽和度と血圧と心拍数を測っていたので平時の値をお伝えでき、血圧と心拍数がすごく高くなっていましたが、熱と酸素飽和度が大丈夫かという不安から交感神経が高まり血圧と心拍数を急上昇させてしまっていると理解できたので安心できました。
体温計や酸素飽和度、血圧などが自分で確認できれば、、こんなことにならなかったかもと大反省しました。旅の準備は余裕をもってしないとダメですね。本当にご迷惑をおかけしました。
高知家の○○とは、、
病院を探すのに、#7119、だったはず!と思うも、確認していたら「高知家の救急医療電話」という見出しがありました。今回のブログを書くに確認したところ、高知県がおこなっている高知県のプロモーションキャンペーンのことだそうです。
高知県はひとつの大家族やき
高知県全体を「高知家」という大家族として、高知家の一番の強みである家族=人を中心に発信していくプロジェクト。素敵ですね✨
お世話になった飲食店や宿泊先で、高知家のみなさまは、高知県じゃない私のことも家族のように大切にしてくださいました。プロモーションサイトにはたくさんの高知家情報がありました。こちらからご覧いただけます。高知家の○○サイト
次回も
高知県を探訪したところをブログする予定です!
梅雨はどこにいった?
どうか、みなさま水分補給、ぐっすり睡眠、しっかり食べて、熱中症にお気をつけください。
ベルでした!