|熊本県|島原大変肥後迷惑?
2022年12月15日
こんにちは。
地震被災をきっかけに番犬ならぬ防災犬に目覚めたベルです。
結ちゃんと一緒に立ち上げたシチズン防災チーム「husegu」のTwitter係です。心理学を勉強しながら防災・減災・縮災の情報を集めています。
今日は熊本県にある、過去最大の火山災害の伝承碑について紹介します。
思い込み、恐るべし
その自然災害伝承碑は、すぐ目の前に有明海がひろがり、その対岸に長崎県島原市の雲仙岳が見えていて、近くに漁港や海苔の集荷所などがある小さな港町にありました。
なかなか見つけることができず、もう見つけられないかも・・と思ったりしたのですが、日本史上最大規模の火山災害の伝承碑ということで諦めきれず、探しにさがして見つけることができました!
個人宅の庭石と思って何度も目の前を行ったり来たりしてたものがそれだったのです。何度目かに通ったときに「あれ?階段がついてる!」と気づかなければ見つけられなかったと思います。見つけたときの嬉しさ、それは思わずガッツポーズが出るほどでした!(笑)
思い込み、恐るべし💦
なぜに?こんな災害名(別名)なの?
この伝承碑に行ってみよう!と思ったのは、石碑名は「津波供養碑」で、災害名は「眉山崩壊」なのですが、国土地理院地図の伝承内容にインパクトの強い災害名(島原大変肥後迷惑:しまばらたいへんひごめいわく)があったことが決め手でした。
なんてまぁ!ダイレクトな名前なんだ!とびっくりしたのです。調べてみると、災害発生の経緯から、このような名前がついていることは理解できたのですが・・・。
ほんとうにそんなことあるのかな?と納得いかない感じがあり、ますます現地に行きたくなりました。
島原大変肥後迷惑 伝承内容
残念ながらこの自然災害伝承碑に彫られている碑文を明確に読むことができなかったため、下記は国土地理院の自然災害伝承碑マップにあるものです。
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙岳の噴火活動中に起きた地震により眉山の(まゆやま)東側が大きく崩れた。
崩壊に伴う大量の土砂が有明海になだれ込み大きな津波を引き起こしたため、沿岸のおよそ1万5千人の人々が犠牲となった。
「島原大変肥後迷惑」とも呼ばれるこの災害で、ここ旧河内村塩屋地区では、約100人が亡くなったとの記録がある。
国土地理院 自然災害伝承碑マップより
伝承碑マップの説明から、長崎県雲仙岳が噴火中に起きた地震により眉山(まゆやま)の土砂が大量に有明海になだれ込んだことで発生した津波によって被害が発生したことがわかります。
災害発生には火山活動に紐づく経過が
さらにインターネットにある情報を探すと、災害発生に至るまでには約半年ほどにわたる火山に紐づく経過があったことがわかりました。
地震 → 火山噴火 → 地震 → 山津波 → 津波
■1791年11月 頃 :雲仙岳西側で有感地震が多発
■1792年2月10日:普賢岳が噴火、溶岩流や火山ガスの噴出
■1792年4月 1日:地震群発、普賢岳が噴火、噴石が雨のように降り注ぎ
眉岳・天狗岳に落石し地割れが各所に発生
■1792年4月21日:島原近辺での地震活動が活発に
■1792年5月21日:午後8時頃、島原は震度6の揺れで眉山が崩落
3億4000万立方メートルもの土砂が有明海へ、津波発生
※参考:1億3000万立方メートルが東京ドーム約80個分に該当
※ウィキペディア「島原大変肥後迷惑」の項目です。
リンク先のぺージには各項目についての詳細、出典元の一覧もあります。(ウィキペディアが開きます)
この一連の流れには続きがあり、5月21日の眉山崩落の後に再び普賢岳が噴火し、地震が発生する度に眉山が二次崩壊しています。
災害名について
島原大変肥後迷惑、という災害名は状況をあらわしたものでしたが、自然災害のことで迷惑をかけたも、かけられたもありませんでした。
僕としては「島原肥後大変」とか「長崎大変、肥後も大変」ということで落ち着きました。
約230年前の状況が2022年の今に起きていたなら
約半年の間にあった、地震 → 火山噴火 → 地震 → 山津波 → 津波、この状況がいま起きていたなら、僕はどの時点で、どんな行動をするだろうと考えたりしました。
いまならば観測や測量の技術向上により、避難指示が発令されて現地から離れなければならないかもしれません。
しかし、いくら技術の進化があっても、毎日のように立て続けではなく半年に渡って発生していることや、発生した際に何も起こらなければそのことに慣れてしまうこと、愛着ある土地から離れることは容易ではないことを思うと、こんな状態が続いているときは一体どんな心境になるんだろう、どうすればいいんだろう・・・僕はじぶんの未熟さから自分の考えがまとまりませんでした。
みなさんはいかがですか?
約4年半も続いた普賢岳の平成大噴火
普賢岳は1990年11月に198年ぶりに噴火活動を再開(平成大噴火)、約4年半後の1995年まで続きました。その間、1991年6月には火砕流により死者40名、行方不明、負傷者、建物など、多くの被害の出る災害が発生しています。
このときから約30年が経っています。
当時のことを知らない人も多くなってきています。
ぜひに行ってほしい!全国初の火山体験学習施設!
熊本市にある伝承碑の紹介から長崎にとんでますが・・・。
「がまだすドーム」を紹介しないわけにはいかないっ!と思いました。
ここでは、島原大変(こちらの施設では、肥後迷惑は表記されていません)の様子を動画で学ぶことができ、伝承のための大噴火シアター、そして、火山の恐ろしさだけでなく、火山との共生・火山のめぐみについても紹介されています。
素晴らしい施設だなと思います。お子さまだけでなく、大人の方も、ぜひ、機会があれば行ってみてください!とてもおすすめの施設です。
さいごに・・おまけ!
僕たち家族は転勤族一家でして、長崎には2年ほど住んでいました。
そのときに長崎の人から教えていただき大好きになった食べ物を紹介します!
長崎の美味しい豚肉で作られています。長崎では売っているところも沢山あるのですが、長崎県外ではなかなか見かけないので僕は通販で買っています(笑)
大好きでたまらないソーセージです!
機会あればぜひ、食べてみてください☆
自然災害伝承碑巡りの旅が食いしん坊の旅になっていること、
皆さんが気づきませんように(笑)
最後まで読んでくださりありがとうございます。
次回は大分県の予定です!
ベルでした!