|京都府|天井川が牙をむいた南山城水害

こんにちは!災害伝承士のベルです!
今日は桜が満開の京都府綴喜郡井出町にある「水難記念」碑を紹介します。こちらはとっても珍しく駅にあります。日々、駅を利用する方々をそっと見守っている石碑ですが、この石碑には、ずっしりと重い、決して忘れてはいけない過去の出来事が刻まれていました。
突然、牙をむいた川…南山城水害の記憶

この石碑は、1953年8月14日から15日にかけて発生した集中豪雨による洪水、土砂災害などの複合災害による被害状況が記録されています。
碑の概要(国土地理院情報)
- 碑名:水難記念
- 災害名:南山城水害(1953年8月15日)
- 災害種別:洪水・土砂災害・その他
- 所在地:京都府綴喜郡井出町大字井出(JR玉水駅)
- 伝承内容:
- 1953年8月15日に時間雨量150mmを超える集中豪雨が発生
- 玉川上流部の旧大正池、二之谷池がほぼ同時に決壊
- 107名が犠牲となる
- 重さ6トンもある、この石は500m東南の玉川から押し流されてきた
現地のようす
JR玉水駅の一部が整備され、駅の外からも中からも見えるようになっています。

ちょうど玉川の桜が満開の時期だったので、石碑のある反対側の玉水駅出口前は、臨時のお弁当販売やお団子などの販売テントができていて多くの人で賑わっていました。石碑のある出口側はひっそりしていましたが、石碑を見にくる花見客の方もいらっしゃいました。
石碑の特徴
今回はサイズを測るのがちょっと困難。。。でしたので、碑文を紹介します。
水難記念 昭和二十八年八月十五日南山城水害。
それはこの町にとって忘れ難い悲運な記録である。
前夜来の雨は時間雨量百五十ミリを超える
稀有の集中豪雨となった。
そして暗夜の中に猛り狂った水魔は
町も人も一瞬のうちに躁躍。
一夜明けた町は百七人の犠牲者を
含む無惨な受難地獄であった。
当駅も駅舎ホームは文字通り河原と化し
たが、この石(6 トン)は東南約五百メートル
先の玉川から押し流されてきたものである。
昭和五十六年一月十五日建立
情報を伝える手立てには限界があったか
災害時は、8月15日。お盆であったことから、地域の方もお盆行事をなさっていたことが想像され、家族や親戚が集まっていたのではないかと思います。
昭和28年頃の気象技術は、現在とくらべると精度は低く、気象衛星もまだ実用化されておらず、また、テレビ放送は昭和28年にはじまったばかり。ラジオや新聞が情報源であったことを想像すると、視覚的な情報は乏しく、詳しい気象情報を伝えることも、掴むことも限界があったことが想像できます。
いま、気象精度は飛躍的にあがっており、情報の伝達方法も多様化し、たくさんの入手方法があります。つまり、わたしたちは、かんたんに、瞬時に、気象情報や地震情報など、災害につながる原因になりそうな情報を手にいれることができます。
避難情報が発令されたら安全なうちに避難!
大雨、集中豪雨などで危険が予測されたならば、安全に避難できる状況で避難情報が発令されています。その情報はテレビやラジオ、ネット、町内放送等々で、嫌というほど目や耳にできるほど発信され、受け取ることができます。
なのに、毎年のように水害で命を落とす人がいらっしゃいます。いろいろ事情はあることは理解できますが、普段の心構えと安全に避難できるうちに避難すれば自分の命も救助にくる人の命も守ることにつながります。
昨年の山形県での警察官の方(お二人とも20代)が救助を求める通報を受け、現地に向かって殉職されたことは、心が痛んでしかたがなかったです。ライフジャケットを着けていなかった、とニュースで見ましたが、ライフジャケットつけていたら助かったのでしょうか。
災害伝承をきっかけに考える
災害伝承を学び始めた当初は、ここでこんなことがあった、数百年も前からこの石碑はここにあるのか!など、ただただ、伝承の事実に触れて、「ほう、へぇ、昔の人はかしこいな〜」とうすっぺらい学びしかできていませんでした。
いまは、当時はどんな時代だったんだろう、どうして逃げれなかったのだろう、どんな気象状況だったのだろう、川の様子はどんな形だったんだろう、ダムはあったのか、など、いろんなことを想像し、確認したりするようになりました。
今回の南山城水害では、情報伝達の状況が現代とは大きく違うことや、気象技術の精度の違いも把握することができました。そういう情報に触れることで、現在の気象技術や情報伝達のありがたさがよくわかり、とても身に沁みます。
そして、これだけの情報や安全なうちに避難できる状況が用意されていながら、逃げない、逃げ遅れるというようなことは、とても残念なことだなと思うのです。
気象技術や情報技術の進歩と同じく、それらを利用する側のわたしたちも進歩しなければならんのではないかと思うのです。そのためには、会社やお店など、社会的なルールというか認識の進歩が必要かなと感じています。
警戒レベル情報への認知バイアスにご用心
避難情報は警戒レベル4になったら避難するのではなく、警戒レベル4になる前、レベル3、レベル2のうちに避難をすませておくのがベストです。段階的にじわじわと徐々に警戒レベルは高くなっていくと思っている方が多いですが、警戒レベル2から、あっというまに4になることもあります。
数字というのはわかりやすくて避難の判断をするのに便利ですが、そこには数字であるがために順番に進む、という思い込みや、「段階的に進む」ということを裏付けるような情報ばかりに目がいってしまう、過去の水害時での段階的に進んでいたという思い出しやすい情報に基づいて捉えてしまうなど、複合的に認知バイアスが働き影響を受けている可能性があります。
え、4になってる、、、お昼頃は、2だったよね?
そんなことがないように気をつけましょう。
おまけ
この石碑のあったJR玉水駅周辺は、いわゆる天井川になっているんですが、とても珍しく電車が川の下を走っています。その様子を次回にお伝えします!というのがおまけです笑
また次回に!ベルでした!