東京都|大正大震火災横死者之碑

アーユーボーワン!ベルです。
前回に引き続き、東京都でめぐった自然災害伝承碑をご紹介します。見出しの写真は国土地理院地図で東京駅付近の自然災害伝承碑を表示している地図です。赤い丸印のところへ行ってきました。
大正大震火災横死者之碑

碑の概要
- 碑名:大正大震火災横死者之碑
- 災害名:関東大震災(1923年9月1日)
- 災害種別:地震
- 建立年:1930年
- 所在地:東京都文京区湯島(麟祥院)
- 伝承内容
- 大正12年(1923)9月1日大地震と火災が発生
- 旧本郷区(現在の文京区東部)では地震の被害は下町より少なかった
- 本郷南部と帝大内の2箇所で火災が発生
- 旧本郷区の死者・行方不明者の9割が焼死であった
この災害に関する情報
いまはデジタルアーカイブやWEBサイトで画像や映像を見ることができます。現地を探訪することと共に写真や映像も見るとより実感と想像が高くなります。ぜひご覧ください。
NHKアーカイブス
「2023年 自論公論 関東大震災100年 地震火災はどこまで克服されたか」9分33秒
(災害の教訓を今に活かすとはどういうことかわかりやすい・激推し動画です)
NHKアーカイブス
「関東大震災と阪神淡路大震災 作家 吉村昭」9分12秒
(江戸時代の教訓が生かされず4万人のうち95%が焼死。教訓を生かすためには)
NHKアーカイブス
「2023年 自論公論 関東大震災100年 流言による惨事は”過去のこと”か」9分32秒
(誰もが持つ不安や恐怖がときに恐ろしい言動を引き起こすことを知っておく)
知らなかった「ちちんぷいぷい」
今回の自然災害伝承碑は、麟祥院(りんしょういん)内の墓地にありました。東京都文京区湯島にあり、東京大学からもすぐ近くです。
こちらのお寺を開基(かいき:寺院を建立した人)は、なんとあの春日局さまでした!そしてその墓石もあるところでした。ベルのご先祖は春日局の出身地と同じなので、ちょぴり身近に感じていたこともあり、これは運命かと若干盛り上がったんですが、じいちゃんにお土産話で伝えたら「そんなわけない、たまたまやろ。ええ勉強しましたな」と笑われました。笑

こちらのつきあたりにあるのが「春日局墓石」です。とてもめずらしい墓石で穴があいています。調べてみると、、、
春日局の墓石の四方及び台石には、夫々穴が穿ってあります。これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」と言う春日局の遺言に衆議して建立したものです。
春日局の強運と賢徳に、又墓石に穴が通っていることから、「肖る」とか「願いが通る」と江戸時代より港間に伝えられてひそかに参詣する人が多くありました。
天澤山 麟祥院 臨済宗妙心寺派 ホームページより
死しても政道を見守るために、黄泉からも見通せるように、、、とは、すごい人はいうことが違いますね。。
ちちんぷいぷい
「ちちんぷいぷい」という言葉は、ただ単におまじないの言葉としてしか認識していなかったんですが、こちらに説明板があり「ほぉ〜!」となりました。

「ちちんぷいぷい」の語源には諸説あるようですが、この言葉の音がおもしろくて楽しい気分になるので好きです笑。幼いころの徳川家光公も「ちちんぷいぷい」を聞いて楽しくうれしい気持ちになっていたのかな、なんて想像すると余計に楽しくなりますね。
おまけ
東京大学っていうと、この建物のイメージが強かったんですが大学の中には素晴らしくかっこいい建物がいっぱいありました。建築物を見るのも好きなので東京大学の中をウロウロしてしまいました。


2枚目の写真は小さな四角のところにレリーフ(浮き彫りの彫刻)があり、めちゃくちゃかっこよかったです。こんな素敵な建物がたくさんあるとは知らなかったです。
大学がお休みだったからか、敷地内で犬と散歩している方や小さなお子様と遊んでいる方もいらっしゃったりして、ちょっとした公園のような雰囲気でした。近所にあったら絶対にお散歩コースにしたいなと思いました。
さてはて、まだまだ東京編は続きます。
22号、23号の台風が心配です。みなさま、どうかご安全にお過ごしください
ベルでした!