東京都| 地域防災の重要性
こんにちは。結(Yui)です。友人のベルちゃんと一緒に自然災害伝承碑をマップにピン建てしていくプロジェクトを一緒に行っています。
防火守護地の碑
2023年1月27日(曇り)
本日は、関東大震災の碑です。関東大震災は1923年9月1日、11時58分に発生しました。防災の日は9月1日ですが、これは関東大震災発生に由来しています。ところでこの関東大震災、死者および行方不明者は推定10万を超えるとされていますが、ここまで被害が大きくなったのは地震直接の被災もさることながら大きな要因は「火災」です。関東大震災はお昼時に発災しました。お昼時でしたので昼食の準備をしていた家庭などが多く大火災になってしまったようです。
千代田区立和泉公園の中にある「防火守護地の碑」は、東京のいたるところでそのような大火災が起こった中、地域の人々の防火活動により大火災を免れたことを伝える碑です。
江戸時代、この碑がある神田和泉町とお隣の佐久間町の辺りは川や海を使って水運でやってきた物資を荷揚げして陸路で搬送するための大きな物流拠点となっていました。米問屋、木材問屋などが多く、かなり繁盛していたようです。しかし故に火事も多く、昔から火事の多い場所として有名でした。そのような汚名を晴らすべく、住民たちは日頃から火の元、火の始末にはとても気を配り、他の町よりも多くの天水桶を通りに配置し、消火訓練にも力を入れていました。
関東大震災が起こった際には、地域住民みんなで力を合わせ消化活動に取り組みました。風上からやってきた火の粉はどんどん和泉町や佐久間町にも降り注いできますが、住民はバケツリレーとポンプで水を放水し続け、寝ずに防火活動にあたりました。そのかいあって火は沈下し、町を守ることができたそうです。
ここでも先人の方たちからの教えが生きていた事がうかがえます。日頃から火事が多い地域という事、故に消火訓練を行い火の元には気を配りなさいという教えがあり、それを元に日頃から地域の方々が備えをしていた結果、関東大震災でも消失を免れたのです。先人から学んだことをそれで終わらせるのではなく、しっかりと後世の方々が地域防災として引き継がれ、町は守られたんだなと感じました。
おまけ
この公園は秋葉原駅の近くにあります。秋葉と言えば電気街やアニメグッズ、メイドカフェなどが有名だと思いますが、食堂や居酒屋などご飯を食べるところが沢山あります。今日はその中の一つ四川料理屋「陳家私菜 秋葉原店」をご紹介。こちらは四川料理なので全般的に辛いものが多いです(辛くない料理もあります)。その中でも麻婆豆腐が有名で、豆腐が1丁石鍋に入ってやってきます。それを店員さんが混ぜてくれます(混ぜると豆腐は一口大になる)。麻辣が沢山かかっていて辛いものがお好きな方にはおススメのお店です(辛さは選べます)。
結(Yui)でした。ではまた~☆