山梨県|笛吹川の流路を変えた明治40年の大水害

こんにちは。毎週木曜日の記事公開を忘れて、本日の公開となってしまった結(Yui)です(笑)。友人のベルちゃんと一緒に自然災害伝承碑をマップにピン建てしていくプロジェクトを一緒に行っています。
石和大水害碑
2023年6月4日 (曇り)
皆様はお忘れかもしれませんが、前回も山梨県の水害に関する自然災害伝承碑でした。が今回も山梨県の水害の自然災害伝承碑です。閑静な住宅街の中にあって、1対の狛犬さんに守られている「石和大水害碑」です。山梨県では明治に入ってから水害が多発していたようですが、中でも明治40年8月の水害は大規模でした(明治40年の大水害と呼ばれています)。この自然災害伝承碑はその明治40年大水害の碑となります。
山梨県には笛吹川という川があるのですが、大雨によりその川や鵜飼川などがつぎつぎに氾濫して堤は決壊し、大水害となりました。またその水害で砂礫が流入し、多い所では厚さ2mを超えて堆積したそうです。死者も230名を超えたそうなので、相当大きな水害だったのだと思います。そしてそんな大水害時になんと!柿の木に登って助かった方が96名もいらっしゃったそうです。実は徳島県でもモチノキに登って助かったという話があるので、私も木に登るというスキルを身につけたいなと思いました(そういえば自力で木に登ったことが無い…)。

話は笛吹川と鵜飼川に戻りますが、水害後、笛吹川は砂礫によって川床が上がり、鵜飼側は下がったので河川改修工事を行って、以前の鵜飼川の位置に笛吹川の流路を変えたそうです。元の位置にあった笛吹川は廃河川となり、その河川敷は開拓されることになったそうです(後にスイカ畑などになっています)。
川の流路や山の形などの地形が大規模な自然災害によって変わることがありますが、今回も川の流路を変えるほどの大災害だったようです。こういう時に感じることは、災害後に変わった地形を無理やり元に戻すのではなく(戻せないというあきらめも、もちろんあるのだと思いますが)、それに沿った形で人間が住みよいものにしていこう、活用していこう、と考える方々がいて、復興が進んでいく…。こういった考え方って素晴らしいなと感じます。
笛吹市HP>>シリーズ『子供向け郷土学習講座』内の「笛吹川と石和温泉」>>https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/documents/607/3isawaonnsen.pdf
おまけ – 久保田一竹美術館
本日は、石和大水害碑(笛吹市)と方向が少し違うのですが、かなりおススメの美術館をご紹介します。本当はとても素敵なので秘密にしたいぐらいなのですが、やはりこの日本美は広く人々に知ってもらうべきだ!と思い、本日ご紹介します。その美術館の名は…河口湖にある…久保田一竹美術館です。

この美術館は染色工芸家である久保田一竹さん(人間国宝)の作品を展示した美術館です。主に彼が考案した「一竹辻が花」という染色方法で染色された着物がメインで展示してあります。あれ?工芸作品なのに美術館?と思われたかもしれませんが、着物を染めた作品はさながら絵画のような美しさです。そして一竹さんは富士山がとてもお好きだったようで、富士山をモチーフにされた作品が沢山あります(一竹さんは東京都ご出身ですが、山梨に美術館を作られたのは、富士山がお好きだったからだそうですよ)。「一竹辻が花」という染色方法は、簡単に言うと、とても細かい絞り染めの方法で、作品には気の遠くなるような時間がかかります。そして繊細な色遣いの素晴らしさ。本当に美しいんですよ~。一点ものから連作までといろいろあるのですが、特に結(Yui)が好きなのは連作かな~。
またこちらの美術館は、スペインのグエル公園(ガウディの作品)のオマージュ的な建築物になっていて、グエル公園に行ったことのある方であれば、一目で”おお!”と気が付く、あの独特なタイル使いになっていますよ。

しかし、それだけではなくて、その周辺には日本庭園があったりして、スペインと日本のテイストが融合されています。そしてそれらが調和していて、何とも居心地の良い空間になっています。言葉では言い尽くせない「久保田一竹美術館」、是非見に行ってみてください。
結(Yui)でした。ではまた~☆
久保田一竹美術館: https://www.itchiku-museum.com/