|新潟県|切れ多し新潟
こんにちは。結(Yui)です。友人のベルちゃんと一緒に自然災害伝承碑をマップにピン建てしていくプロジェクトを一緒に行っています。
曽川切れの記念碑
2022年12月11日 曇り
今日は新潟市内の県道1号線を車で走っていて偶然見つけた碑です。車で走っていると様々な碑があって今まで気にしてなかったそれらの碑も、自然災害伝承碑を巡るようになってから自然と目に入るようになりました。大抵は農地改革の碑だったり、その土地の名士の方の碑だったり…自然災害伝承碑を偶然発見することはかなりのレアケースです。なのでせっかく車を止めて見に行っても肩をがっくり落とすことになるのですが、今回はピンときました。だってこの碑が立っていたのは信濃川の堤。これは「切れ」の碑でしょ、と。
早速車を止めて(ちなみにここは堤防のすぐ横にあり道が狭くて近くに停車、駐車できるようなところはしばらく行かないの無いのでご注意ください)、碑まで戻ってみると…やっぱり自然災害伝承碑でした~!国土地理院さんの地図で調べると「曽川切れ記念碑」でした。
こちらの碑は洪水災害の碑です。1917年10月2日に曽川の堤防二百メートルが決壊しました。その時の様子を後世に伝えるものが「曽川切れの記念碑」です。碑文は「おおや おやげなや 曽川が切れた 抱いて寝た子も 流された」から始まり、防波堤が切れて周辺一帯が修羅場と化す様子が書かれています。また被害も浸水家屋数千戸、収穫を目前に冠水した田畑三千余ヘクタールと大きなものでした。確かに10月だと収穫目前だった稲などがまだあったでしょうから、それが水害でダメになったのであれば農家さんの落胆は相当なものだったでしょう。一年かけて育てたお米、それがやっと収穫というところでこの水害ですから…。このように自然災害自体で命を落とさなくても、その後にやってくる飢饉などで命を落とす方もいらっしゃったであろうことを思うと、災害の恐ろしさはその時だけでなく後々にも影響を与えることがわかります。
おまけ
今回の新潟訪問で食べたご飯は鮭のり弁当。普通の鮭のり弁当に見えますが鮭がふっくらしていてとても美味しかったです。箸休めについていたお漬物も程よい塩加減で美味しかったです。ちなみにお店の名前は鮭山マス男商店さんでした。こちらは贈答用の鮭の切り身なんかも販売していましたよ。
次回はこの碑のすぐ近くに建っている曽川切れ跡の碑の様子をご紹介します。結(Yui)でした。ではまた~☆