長野県|千曲川の氾濫
こんにちは。結(Yui)です。友人のベルちゃんと一緒に自然災害伝承碑をマップにピン建てしていくプロジェクトを一緒に行っています。
千人塚(流死含霊識)
2023年3月25日 (曇り時々雨)
今回は前回に続き長野県の災害伝承碑です。正福寺さんというお寺の中にある千人塚(流死含霊識)です。流死含霊識という事はどこかに流れついた遺体をこちらで慰霊されているのかと碑名を見て思いましたが、その通りでした!(まあ、皆さんも予想がついたと思いますが…)。
説明文によると1742年7月27日から雨が降り出し大雨となったそうです。その雨は8月1日まで続いた為千曲川は平常時より約10mも増水し大洪水となりました。そしてこの大洪水により人や家畜、家屋や家財などが流出し大被害を生みました。時の上田藩主は川原に流れ着いた遺体を集めて正福寺に埋葬し、流死含霊識と記して千人塚と称したそうです。何人の方が埋葬されたかは不明ですが、千人塚と称されているからには沢山の人が埋葬されたものだと思われます。こういった塚を見ると、どこのだれかもわからないけれど弔ってあげようという当時の方々の思いやりが見えるようで気持ちがほっこりします。
この災害は台風による洪水で、「戌の満水(いぬのまんすい)」と呼ばれ流域では約2,800人の死者が出る大きな災害でした。上田市以外にも佐久市などでも被害が大きかったようです。
国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所:https://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/shiru/kouzui/gaiyou/index.html
おまけ
さて、前回は大岡特産センターで道祖神様に会いましたが、今回は国宝松本城です。行った日はお天気があまりよくなかったのですがさすが国宝、堂々の風格です。こちらの松本城は以前ご紹介した埼玉県の難波田城と同じ平城です。
また天守12城(江戸時代以前からの天守が残されているお城)の一つでもあります。そして戦国時代に建てられた大天守、渡櫓、乾小天守と江戸時代初期の平和になってから建てられた辰巳附櫓、月見櫓という2つの異なる時代の造りを見ることができます。戦国時代は戦う事を前提として作られているので鉄砲を撃つ窓(鉄砲狭間)などがありますが、平和な時期に作られた櫓にはそのような戦う事を前提としたものはありません。このように性格の違う時代のものが群となって一緒に見れるのは珍しいんだそうですよ。
結(Yui)でした。ではまた~☆
松本城管理課HP – 天守閣とその構造:https://www.matsumoto-castle.jp/about/tower