|徳島県|アインシュタイン友情の碑〜徳島遠征記④〜
アーユーボーワン!ベルです。徳島大学環境防災センター 上月先生・松重先生にご案内いただいた徳島遠征。全く想像もしなかったエピソードをもつ石碑へとご案内くださいました。今日は遠征記①、遠征記②、遠征記③に続く遠征記④です。
ジェーン台風、恐ろしい・・・
2024年1月現在、吉野川沿いには10基の自然災害伝承碑があります。今回は、そのうちの2基に会ってきました。その2基ともが「ジェーン台風」(昭和29年(1954年9月13〜14日))の洪水による災害の石碑です。
・碑名「吉野川洪水の最高水位」(遠征記③で紹介しています)
・碑名「舞中島大洪水記録柱」 (今回紹介する石碑です)
しゃ…写真のピントが合ってなくてすみません!(ど素人につきお許しを・・・)
こちらの自然災害伝承碑は徳島県美馬市穴吹町にある「光泉寺」の敷地内にありました。敷地内といっても地面ではなく本堂の左手にあります。この伝承碑は高い場所にあり、隣の建物の屋根とほぼかわらない高さにあります。石碑に刻まれている赤い線のところが、1954年にジェーンが襲来したときの洪水の水位です。その水位はどれくらいだったかというと・・・少なくとも240cm以上です。
光泉寺は高さ 8 尺(240cm)の石垣の上に本堂と庫裏がありますが、浸水位は座上
四国災害アーカイブス|https://www.shikoku-saigai.com/|アーカイブスあらかると Vol.87(2019.9.20)より
2 尺(60cm)ほどに達しました。
写真のすべてが水の中・・・・
光泉寺は「240cmの石垣の上に本堂と庫裏が」とあるように、周辺の住宅も高い石垣の上にありました。(下の写真)それでもジェーン台風のときには殆どの家が軒下まで浸水したことを石碑が知らせています。この写真に写っているもの全てが水の中ということになります・・・。
命をまもるには・・・
石垣のような環境面の備えは、住宅、地域をまもるために重要です。しかし、近年は毎年のように豪雨災害が発生し、ジェーン台風のように想像を絶する状況が発生する可能性はゼロではありません。命をまもるには「安全なところへ逃げる」ことが欠かせない、ということを実感しました。
アインシュタイン友情の碑
光泉寺のすぐ隣には大変興味深い石碑がありました。理論物理学者のアルベルト・アインシュタインが、訪問地:徳島県美馬市穴吹町舞中島出身の世界的外科医、三宅 速(みやけ はやり)博士と奥様の戦争による死を悼んであてた、直筆の追悼文を石碑にしたものでした。
1922(大正11)年(56才)、欧米視察旅行から帰途の船中、ドイツの理論物理学者アインシュタイン博士の急病を治療するという奇縁からお互いに親交があり、三宅先生夫妻の戦争による死を悼んで、自筆の哀悼文が寄せられた。
美馬市ホームページ|観光情報|https://www.city.mima.lg.jp/kanko/map/list/11489.html
アインシュタインと三宅博士
とてもわかりやすい動画があります。こちらの動画は美馬市のWEBサイト観光情報ページで紹介されています。詳細情報があります→こちら
アインシュタインの言葉が好きで「アインシュタイン」とWEB検索したことがあります。さまざまな情報を見ることができますが、三宅夫妻との友情についての情報に辿り着いたことはありませんでした。
アインシュタインの言葉
石碑の碑文を見て、アインシュタインらしい表現だなと思いました。いや、お前がアインシュタインの何がわかるのか・・っていう話なんですが💦
アインシュタインの言葉集を1つ持っていまして(アインシュタイン150の言葉:赤い表紙版)、アインシュタインが話したことの一部を名言として切り出しているものなのですが、その時々の自分を励ましたり、勇気をもらったり、視点切り替えのヒントになったりと、アインシュタインの言葉にはお世話になっていまして…その視座からのアインシュタインらしいなぁ、です!
すぐ近くに、アインシュタインの哀悼文の紹介看板がありました。世の恐ろしい迷いは今も世界でおこっています。三宅博士ご夫妻のご冥福と平和を祈りました。
さいごに
今回にご紹介した自然災害伝承碑も、アインシュタイン友情の碑も、吉野川の近くにあります。災害によって得た経験が暮らしの中に反映された高い石垣に触れ、現地を訪問することの重要性を改めて実感しました。「百聞は一見に如かず」ですね。アインシュタインはこう言っています。
「自分の目で見て自分の心で感じる者は本当に少ないものだ」
アルバート・アインシュタイン
次回は徳島遠征記の最終回、いよいよ吉野川下流域です!
実物を見てみたい!と心募らせていた場所へいってきました。
また木曜日に⭐️
ベルでした!