災害伝承

|徳島県|自然と生きる心〜徳島遠征記⑤〜

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アーユーボーワン、ベルです!
徳島遠征記から、今回の遠征記⑤で最終回となります。吉野川を上流から下流へと移動し、流域にある災害伝承に触れて感じたことは様々にたくさんありました。何より感じたものは吉野川流域に暮らした先人の心でした。

心を映すもの

心は手にとって見ることはできませんが、私たちは説明がなくとも、なんとなく心を感じたり、想像したり、理解したりすることができます。心を込める、心に刻む、心を痛める、心が弾む・・等々、心がつく言い回しがたくさんあることからも目に見えない形のない心は確かに存在しています。今回の吉野川流域を巡る旅では「心」を感じることが多々ありました。

自然災害伝承碑:1866年 降り続いた雨により大洪水となり天井に達するほどの浸水となった。

人への思いやりの心

これまでも自然災害伝承碑巡りをしていて、同じように先人の心を感じ、石碑の向こうには人がいることを実感してきました。しかし、これまでは自然災害伝承碑を巡ってきたため、その目的をクリアしているものに触れてきました。そこで感じていたのは「人への思いやりの心」です。二度と同じ経験をしてほしくない、させたくない、そんな思いです。

自然災害伝承碑とは、過去に発生した自然災害(洪水、土砂災害、高潮、地震、津波、火山災害等)の様相や被害状況等が記載されている石碑やモニュメントのことです。
これらの碑は被災場所に建てられていることも多く、過去にその土地で、どんな災害が起こったかを知ることが出来ます。

国土交通省 国土地理院WEBサイト(https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/denshouhi.html)

自然と生きる人の心

しかし、今回は「自然と生きる心」を強く感じていました。そのように感じたのは、自然災害伝承碑に限らず、災害に関する言い伝えや体験談が収録されている「四国防災八十八話マップ」に収録されている災害伝承に触れることができたからだと思います。災害に対する先人の知恵や工夫、体験談は学びが多く感動します。

左:公平な治水のために刻まれた堤防の高さ 右:吉野川の氾濫を鎮めるために龍蔵さんが人柱になった堤防

堤防の高さをめぐる争い

写真の「印石」は、田畑の冠水を免れるための新しい堤防を築くことを巡り、約40年もの紛糾の末に完成した堤防に、断りなく堤防に盛り土をした地域が出たことで争いが発生したため、今後争いがおきないようにと、堤防の高さを示す線と印石の文字が刻まれた石柱です。この石柱が堤防の各所に埋め込まれました。約40年も紛糾していた・・・当時、堤防の高さがどれだけ重要であったかがよくわかります。

・印石:四国防災八十八話マップ(P.24をご覧ください)

頑丈な堤防にはもう人柱しかない

「龍蔵堤」は、毎年のように吉野川が氾濫するため、家や家畜、田畑など、生活がおびやかされる地域の人たちが、堤防を強くするために人柱を立てた堤防です。「龍蔵」というのは、その人柱になった龍蔵の名前です。地域の人たちは、近くに祠を立てて龍蔵をまつり、祠を「川贄さん(かわにえ)」と呼んでいるそうです。

・川贄さん;四国防災八十八話マップ(P.22をご覧ください)

川贄さんのエピソードには驚愕しました。あまりに驚いたので、じいちゃんに話したのですが「そらぁ昔はな。当時の人には死活問題やし、本気で信じとった」と。今の感覚で捉えている自分が恥ずかしくなりました。先人の皆様にお詫びします。

左:覚円騒動の証人とされるお地蔵様 右:江戸時代に作られた堰

覚円騒動とは

「愛宕地蔵」は覚円騒動の証人と言われています。吉野川改修工事中に長雨による決壊で多くの被害がでました。この大惨害は県の工事の遅れ、内務省の低水工事が原因であるとして地域の人たちが工事の廃止を働きかけ、低水工事が中止されました。今でも「覚円騒動」として伝えられているそうです。

・覚円騒動:四国防災八十八話マップ( P.26をご覧ください)

第十堰

約300年前ほどの江戸中期に設けられた堰です。吉野川の河口から14Kmのところに位置し、旧吉野川へ導水や海水の遡上防止、取水などで活躍しています。とても大きな堰で全容が掴みにくかったのですが、わかりやすい動画を見つけました。

ほかにも沢山の情報があります。
・国土交通省:第十堰が支える水利用のようす(旧吉野川~徳島市上水道利用地域まで)
・国土交通省四国地方整備局:Ourよしのがわ「第十堰の変遷と明治期の構造
・国土交通省四国地方整備局徳島河川工事事務所:吉野川資料館「吉野川懇談会
・徳島市:取水施設(徳島市WEBサイト)

数ある高地蔵の中で一番台座が高い東黒田のうつむき地蔵様は高さ4.9m!

吉野川と高地蔵様

諸説あるものの一説には「吉野川の洪水でお地蔵様が水に浸かったり流されたりしては申し訳ない」との信仰心から台座が高くされた「高地蔵」のエピソードは「自然と生きる人の心」を特に感じました。

高地蔵様は約190体が吉野川流域の洪水浸水区域に広く分布しているそうです。こんなにたくさんあることから吉野川の氾濫がいかに大きな影響を及ぼしていたか、また、移動ではなく台座を高くしていることから、この地域で暮らした先人の吉野川(自然)と共に生きる心を強く感じました。

・吉野川流域の高地蔵:四国防災八十八話マップ(P.18をご覧ください)

左:劣化により覆屋ができた百度石・右:新しく建立された百度石

百度石に刻まれた南海地震の周期性

沖洲蛭子神社には、お百度参り(神様に願い事をきいてもらうために100回お参りする)で利用する石柱には安政南海地震の周期性が刻まれています。劣化していた百度石は、神社の氏子である地域の防災士会の方の働きかけによって修繕や写真のような木の覆屋が建てられ、新しくできていた百度石にも碑文が刻まれるそうです。(碑文引用追記:2024.3.1)

碑文(現代語訳)
嘉永七(一八五四)年十一月五日に大いに地が震い、人々はうろたえて木竹の根が絡んだ中へ駆け込んだ。津波が来ると騒ぐ声に驚いて船に乗ったものは押し流されて、危ないところを助かった者もいれば転覆して命を失う者もいたので、必ず船には乗ってはならない。家が潰れて、「こたつ」や「かまど」から火が起こり、多くの家や蔵が焼けた。
このような時は、心を静めて火の元に気をつけることが肝要である。百年のうちにこのような地震と津波があると聞くので、このたび氏神の御前に百度石を建てるおりに、そのことを記す。文久元(一八六一)年九月吉日

徳島県:レキシルとくしま(https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/nankai/5026071/)

・四国防災八十八話倶楽部:沖洲蛭子神社の百度石のお話
・百度石に刻まれた教え:四国防災八十八話マップ(P.40をご覧ください)
・レキシルとくしま:沖洲蛭子神社百度石(3D画像・拓本

心に刻むために

高地蔵様を見上げるとこんな感じで目が合います^^!なんというアルカイックスマイル

改めて再認識したこと

徳島遠征を振り返り、改めて再認識したことは、現地を訪問することの大切さです。四国防災八十八話マップに収録されている現地を訪れてみると、読むことや、想像することではつかめない大きさ、質感、周辺の様子、吉野川との位置関係など、さまざまな情報をともない、より強い実感と驚きや感動を得ることができました。

人間味あふれるエピソードで災害伝承

特に実感したのは「本当に何百年も前に此処に人が生きていて色んなことがあったんだ」ということでした。四国防災八十八話マップは地域の暮らしにあった災害や防災の歴史、文化風習などを人間味あふれるエピソードで災害伝承を教えてくれました。

心に刻まれるのは

吉野川流域を巡った徳島遠征は、写真を見るだけでは決して得られない「時間・場・感情」の情報とともに沢山の災害伝承を心に刻むことできました。写真を見ればその場所での会話や感情、場の空気感を思い出すことができます。感情を伴った体験は大切に記憶されますので、この遠征が思い出になった証拠だと思っています😊

さいごに

素晴らしい災害伝承に心から感謝するとともに
今回に学び得た様々な視点や気づきをみなさんにシェアしていきたいです。

できれば、今回のような「災害伝承の旅(災害伝承ツーリズム)」を企画して、
みなさんにもご案内できたら・・なんて夢を膨らましています。
需要があるかどうかは?ですが、思いだけはいっぱいです!笑

4週にわたった徳島遠征記、おつきあいいただき有り難うございました!
次週からは自然災害伝承碑巡りや、徳島遠征記の番外編などをブログしたいと思います!
どうぞよろしくお願いいたします。

ベルでした!

◾️謝辞
徳島大学 環境防災研究センター 上月先生、松重先生。
忘れられない吉野川、徳島遠征、災害伝承になりました。
心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

ABOUT ME
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一般社団法人 災害伝承普及協会
「みんなの心をつないで防ぐ」をコンセプトに活動しています。防災における災害伝承の大切さを発信しています。自然災害伝承碑の探訪を通し、石碑に残された先人の思いやりの心をいつも感じています。防災のことや心理学の事を発信しています。
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